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「父さん大変です!」


娘の中学のPTAから、電話があり「次年度の会長に」という依頼でした。
昨年は、中学のPTAで広報誌編集委員、息子の高校では学年委員をしておりました。
というのも入学式の後の保護者会でなかなか決まらず、
イヤ~な雰囲気にいたたまれず一度経験があったので1年間くらいなら
と広報に手を挙げたのでした。

で、続く息子の高校の入学式後も、もうチョイやな感じが増しており、
これまた学年委員を引き受けてしまったのでした。
横で「ふたつも受けて大丈夫?」と心配そうな妻に
「こんなんじゃあ、チビの保育園でもなんかやらないと悪いみたいだなあ~」
と、うそぶく私。

で、力不足ながらにも、さらりと1年を終えたのでした。
そんで成果としては、ほかの保護者の方たちや先生、校長と仲良くなれたこと。
子供より学校の行事に詳しくなり、学校のプリントもあるはずだから出しなさい、
と子供より情報が早かったりと、なかなかいい感じでしたよ。
というわけで、冒頭の会長にという話が来たわけですが、
それよりも先に言われていたのが、高校の次年度の役員が全く足らないということ。
一度やったらこの虎の穴から出ることは難しい状況でした。
そのうえ会長にと目論でいた方のご子息が退学してしまうという、
小中学校では、予想外の展開で、新年度が始まってもPTA人事が決まらないという状態。

またまた力不足な私が「なんで私が会長に!?」
というどっかの塾のキャッチコピーのようなフレーズと共に
高校のPTA会長になるという春の椿事が起きたわけです。

しかしそれだけ、無関心、忙しい親が多いということ。
うちに限らず、ただ学校に入れっぱなしで連絡してもナシノツブテ。
そんな割には文句と要求だけはしっかりしてくる理不尽な親が多い,
と言われているようですが、折りに触れ実感させられます。

これをお読みになったしまったアナタ、
こんなシチュエーションの時は迷わず笑顔で
「はい、やります!」
と愛する家族と社会貢献のために積極的に参加しましょう。
きっと子供とのコミニュケーションが円滑になることうけあいです。

以上、会長就任の挨拶に代えさせていただきます。  ってか。。。

【2008/4/15】



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アインシュタインが。。。


ある方に「ほつまつたえ」なるお話を聞きました。

ネットで調べていたら、宮地正典さんのHPがヒットし

前に聞いたことのある、
アインシュタインが日本を訪れた時の言葉が出ていたので
転記しておきます。
「君が代」の意味も記してあります。

きみがよは ちよにやちよに
さざれいしの いわおとなりて
こけのむすまで

(訳)
あなたの世が 千代も八千代も
小さな小石が 巌となり
苔がむすまで (永久に続きますように)

古代から日本人はお互いがこの歌を謡い、
ともに末永く栄えることを願いました。
この歌のように数千万年に渡り人類が生き続けることは、
その心を大切にし人の生きるべき道を素直に歩み、
「生命とよろこび」の世界を実現するという命あるものの
本来の目的に沿って発展を続ける限り可能なのです。
それが人の基本となるべき考え方であり生き方です。

たかだか二千年で 「人類滅亡の危機」などが声高に叫ばれ、
解決法を見出せずにうろたえる羽目に陥る状況は、
そこへ導いてきた文明が「ひとのみち」から
大きく逸脱する部分を持つものであることを示しています。
それを乗り越えるものが古代から受け継がれてきた日本の文化の中にあります。

アインシュタイン博士は、1922年に日本を訪問し、
人類の至宝ともいえる直感力で日本の文化の本質をとらえ、
次のような「メッセージ」を私たちに送りました。

世界の未来は 進歩するだけ進歩し…最後に戦いに疲れるときが来ます
そのとき人類は世界を真の平和へと導いてくれる者を探し出さなければなりません
…世界の文明は…日本へ戻らなければなりません
私たちは 神に感謝します 私たちに日本という尊い国を作っておいてくれたことを

この 「メッセージ」 を元に、アインシュタイン博士が
神に感謝するほどの価値を持つと言った、
純粋な日本の文化の神髄を、私たちは次に来る世のために
もう一度思い起こしてみる必要があります。

詳細はこちら
http://www.lovenotesjoy.com/works/hotsuma.html

【2008/5/5】



新・北風と太陽

BSC兵庫県イベントの講演していただいた

立山 裕二氏の紹介をさせて頂きます。

著書「あなたの成長が地球環境を変える!」から抜粋

『新・北風と太陽』

北風と太陽が競争を始めました。ベンチに座っている男性のマントを
どちらが早く脱がすことが出来るかという競争です。
北風は、思いっきり力をこめてマントを吹き飛ばそうとしました。
しかし男性は寒さに耐えて
絶対に脱がされまいと力を込めました。

一方、太陽は顔を真っ赤にして、熱風を彼に吹き付けました。
男性は暑さに耐えかねて、とうとうマントを脱いだのです。

やったー!太陽は勝ち誇り、喜びの声を上げました。
しかし、太陽は勝ったはずなのに、なぜか空しさが込み上げてくるのを
感じました。
どうしてだろう?太陽は必死に考えました。

そのとき、太陽の心に大きな気付きがやってきました。  
そうだ,僕は真夏の、しかも熱帯の太陽になっていたんだ。
マントを脱がす事はできたけど、あの男性はものすごく苦しそうだった。
それで、勝ったのに嬉しさを感じなかったんだ。  
よーし!春の太陽になってみよう。

翌日、太陽は微笑を浮かべて温かく男性を包みました。
やがて男性はポカポカ陽気に誘われて、気持ちよさそうに
マントを脱ぎました。「なんて気持ちいいんだろう。」
男性はニッコリ微笑みました。』


私たちは自分の思いを伝えようとする時、北風と太陽の話を思い出し、
太陽になろうとします。

しかし、真夏の太陽もあればうららかな春の太陽もあるのです。
あまりにも熱い思いを文字通り「熱く語る」と相手はヤケドを負ってしまう
でしょう。
焼け焦げてしまうかもしれません。

熱い思いを温かいエネルギーに変えて語るとどうでしょう。
たぶん気持ちよく、こちらの気持ちを受け止めてくれるのでは
ないでしょうか。

皆さんも環境問題などを伝える時、春のような温かな太陽になって
みませんか。

この時、無理して伝えようとしなくても自然に「伝わる」事を実感する
はずです。
「伝える」のではなく「伝わる」のです。  


                    以上著書より抜粋

【2008/11/21】



ビーワンプロジェクト達成!?


凄いことになってます。

そこは、沖縄第4の島、久米島。人口約9,000人。

多分ビーワンが、島に入ったのはここ2年くらいのことだと思います。

私も5年ほど前、訪れたことのある、のんびりとした南国です。

道を尋ねても、さっと逃げてしまう、人見知りするほど純朴な人々が暮らす島でした。

当然、ビーワン商品を持って行きましたよ。     私が使うためでしたけど。。。

久米島産のバナナが、安っ!JAストアで売っていたので迷わずゲット!

やはりとても甘くて美味しかった~。


で本題に入りましょ。

沖縄での体験会は、連鎖が見事で、朝体験した人が、午後の体験会に

お友達を連れてくるといった、まさに『結いまーる精神』の発表の場といった感じ。

自分がやってもらって、びっくり感動したから、午後にはお友達の顔も私が、

引き上げてびっくりさせたろ~。

きっとこんな風に、次から次へと新しい方がいっぱい訪れたのでした。(←見てたわけじゃないけどね)

そんな時、あの事件が起こったのです。。。


車いすに乗せられたきた男性。脳出血を患い、半身不随の状態で

リハビリしても痛いばかりで全然良くならないことに、

半ば諦めて何もしていなかったそうです。

そんな方を見てしまった沖縄体験会参加の面々、その顔・頭・両手・両足を

みんなで寄ってたかって、ビーワン・水入れ体験をはじめたんだと。。。。

多分約30分後、あまり呂律も回らなく、表情も乏しかったその方が

なみだをぽろぽろ流し、『ありがとう!ありがとう!・・・ありがとう!』と何度も繰り返していうのです。

動かなかった指先がまるで電気がビリビリと走ったように、

自分の意志ですこし動かせるようになったのです。

『これからは、しっかり、リハビリ顔晴(がんば)るよ!』って、当然参加したみんなも、もらい泣き。

聞いたオイラも、もらい泣きです。(これを読んだあなたももらい泣き??)

沖縄がブレイクしたのはきっとこの、体験会がみんなの心をつかんだからなのかな、っと思います。

それから、かの久米島でも自らの美と健康のために、そして地球環境浄化のために

ビーワン使用率5%を達成し、夢の10%も超えてしまったのです。

温暖化による水温上昇や開発に伴う赤土の流れ込みで、白化していた珊瑚が、

新種の?ミドリエダ珊瑚(←命名)となって甦ったのです。

そして、新聞やWEBでも大きく取り上げられたこの記事になるのです。。。。

沖縄のみなさん、ありがとうございます。


ぜひご覧になってください。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-162278-storytopic-5.html

http://www.slide.com/r/HfYHF8z_4D9Pf4GSYGa_tbNwkQxzRIHj?map=2&cy=un

こちらは動画でご覧になれます。

http://www.wwf.or.jp/activities/2010/05/829018.html

素晴らしい!!!   【2010/7/26】



ボクの夏やすみ


1975年小学5年生の夏。
近所のおじさん、だけど誰だったのか覚えていない。

『みんな、水着もってこい!』
遊び仲間4~5人をトラックの荷台に乗せてくれ、
初めていくちょっと遠い河原へ。

知らないおじさん達が川辺りでお酒を飲みながら、芋煮してた。

澄んだ川面、冷たい水。材木岩。

流れで削れた水中トンネル。

素もぐりでキラキラ光る魚の群れを見つけた。何十匹も。。

捕まえたい。

息が続かない。何度も何度も潜る。

くちびるが紫になっても、何度も。


冷え切った身体をおじさん達の焚き火で温めさせてもらう。


ずっと忘れない夏の思い出。。。



大人になって、自分で運転する車であの場所をさがす。

似たような風景が、何箇所かある。

潜る、トンネルはない。


あれから、30年。やっと見つけたあの記憶の中の風景。

あの頃と同じように、川辺りではバーべQ。
きれいなテントを張って、親子連れが戯れている。

兄弟の子どもたちを連れて、
前にも一度来たが、トンネルは見つけられなかった場所だ。

シュノーケル、フィンにラッシュガード。
手には近所のコンビニで買った4本ヤス。

おんなじカッコで中3になった息子も一緒に潜る。

完全装備で、材木岩を丹念にさがす。
珍しく高気温が続き、思ったほど冷たくない。


あっ、どんこ!(川ハゼ)  水中でひとり言。

型のいい黒っぽい魚が数匹。


トンネル発見!  奥行き1mちょっと。
3mはあったようだったがやっぱり子どもだったから。。。

魚影はたった数匹。

一番大きな影に向ってヤスを絞る。 かすった。

もがく魚にもう一度打ち込む。
手にぐぐっと響く。人生で初めて魚を突いた。

この香り、鮎だ。

川辺りで見ていた人から歓声が聞こえる。

戸惑っていたが照れながら、高くさし上げる。

鮎が踊る。


たった一匹。

塩焼きして母と食す。
『美味い!美味い!』と喜んでくれる母。 感謝。


この夏の思い出。


 ~この作品は、2006年近江が郷里に帰ったときの出来事を、
mixiで公開したものを転載いたしました。


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